月刊正論12月号

「南京大虐殺」を世界遺産にしたユネスコ事務局長のトンデモない経歴 ミロスラフ・マリノフ(ジャーナリスト)

生き残った共産党系人脈

 1989年、東欧諸国の共産主義体制は終焉に向い、ブルガリアでは11月にジフコフ評議会議長が退陣した。この後「進歩的」な新政権が誕生したはずだったが、ブルガリア共産党は社会党に党名が変わっただけで、実態は何も変わらなかった。90年の初の議会選挙で社会党は勝利し、89年以前の共産主義独裁体制への反対派は徐々に隅に追いやられた。イリナ・ボコバのような人物が再び政権の重要な位置を占めるようになった。

 1995年、ボコバはジャン・ヴィデノフ政権下で外務副大臣に、そして翌年外務大臣に任命された。しかし、この政権はブルガリアの歴史で最悪の政権のひとつだった。恐るべき無能さで財政破綻を引き起こし、それにより暴動が発生した。多くの銀行が倒産し、ブルガリアは債務不履行に陥った。ハイパーインフレは国民の貯蓄を奪い取り、国民一人当たりの平均月給が10ドルにまで落ち込んだ。このため社会党政権は退陣に追い込まれ、より保守的な連立政権が誕生した。

 日本人がイリナ・ボコバという人物を見る時に、ボコバを含めたブルガリア共産党特権階級の精神構造とブルガリアの腐敗した共産党の実態を理解する必要がある。現在のブルガリアで、ボコバのような人物は珍しくなく、中には犯罪組織と関係のある政治家もいる。

 2001年、元国王シメオン2世(シメオン・サクスコブルグ)率いる連立政権が樹立し、サクスコブルグ政権が発足した。この時の財務大臣だったミレン・ヴェルチェフも、父親はジフコフ時代に著名な外交官であり、祖父も影響力のある共産党政治局員だった。ヴェルチェフは外務大臣の在任中に、ブルガリアで最も強力なマフィアの幹部と一緒にヨットに乗っているところを写真を撮られ、大きなスキャンダルになった。このマフィア幹部は数年後に銃撃されて死亡した。また、現在はブルガリアメディア界の大物で大学教授のデミタール・イワノフは、共産主義政権時代に反体制派を暴行、投獄、迫害したことで悪名高いブルガリアKGBの最後の長官だったが、起訴されることなく現在に至っている。

 日本の人たちには理解しがたい話かもしれないが、現在のブルガリア政権の要職を占める政治家のほとんどは元共産党員である。ボイコ・ボリソフ首相は父親が共産党政権下で内務省の幹部だった。ボリソフ自身も、ジフコフの独裁支配が崩壊し、共産主義から社会党に移行する過程においても共産党党員の立場を維持していた。彼は1991年、ジフコフ議長のボディーガードになり、その後もシメオン2世のボディーガードとして仕えた。ボディーガードとしてのキャリアがこの後のボリソフの出世の道を開いた。ブルガリア大統領のロセン・プレヴネリエフは共産党時代にある都市の共産主義青年団の要職に就いていた。彼の父親は同じ都市の共産党委員会で宣伝活動推進の主要人物の一人だった。

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