産経抄

憲法を聖典化、信仰していればよかった時代は過ぎ去った 11月26日

 かたや「お前は分かっていない」としつこく言い募り、こなたは「そんなの分かっている」と譲らない。子供の口げんかの話ではない。衆参両院の憲法審査会で、延々と繰り返されている立憲主義をめぐる議論のことである。水掛け論というにも程度が低すぎ、聴いているだけで徒労感を覚える。

 ▼立憲主義をおさらいすると、おおよそ「政府による統治行為を憲法にのっとって行う原理」「権力者の恣意(しい)によってではなく、法に従って権力が行使されるべきだとの原則」といった意味である。どうしてこんな珍しくもないことに、選良たちはいつまで拘泥しているのか。

 ▼「自民党憲法改正草案は立憲主義に反し、憲法を統治の道具であるかのごとく考えている」。24日の衆院憲法審で、民進党の枝野幸男氏はこう指摘し、辻元清美氏は立憲主義への認識を問うため安倍晋三首相の憲法審出席を求めた。

 ▼一方、自民党の中谷元氏は「立憲主義という言葉を、本来の意味を超えて政権に対する好き嫌いで使っている」と反論した。「民進党が何を議論したいのか分からない」。日本維新の会の足立康史氏がこう述べたのももっともである。