【北方領土 屈辱の交渉史(3)】密約にスターリンは狂喜した 米ソのパワーゲームに翻弄された千島列島(1/5ページ) - 産経ニュース

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北方領土 屈辱の交渉史(3)

密約にスターリンは狂喜した 米ソのパワーゲームに翻弄された千島列島

 1945(昭和20)年2月、クリミア半島の保養地ヤルタに米英ソ首脳が集まり、第二次世界大戦後の世界の割譲を決めた。戦後の世界になお暗い影を落とす「ヤルタの密約」である。

 ソ連の独裁者であるヨシフ・スターリンはユスポフ宮殿に宿舎を構えた。2月8日朝、スターリンは書斎を子供のようにぐるぐる回り、何度も快哉(かいさい)を叫んだ。

 「ハラショー(いいぞ)、オーチン(すごいぞ)、ハラショー!」。握りしめていたのは米大統領、フランクリン・ルーズベルトからの手紙だった。「米政府は日本の占領下にある南樺太と千島列島についてソ連の領有権を承認する」と記されていた。

 米ソ両首脳による対日参戦に関する非公式会談でも千島列島の扱いはあっさり了承された。

 スターリン「ソ連の対日参戦の条件について討議したい」

 ルーズベルト「南樺太と千島列島がソ連に引き渡されることについては、何ら問題はない」

 これには伏線があった。

 43(昭和18)年10月5日、ルーズベルトは、国務長官のコーデル・ハルら政府高官をホワイトハウスに招集した。