今月3日は文化の日、23日は勤労感謝の日だった。
どの祝日も残念ながらそうなのだが、街を歩いても国旗を見かけることは少ない。行楽地などのにぎわいはあっても、祝賀の気配がこの国に満ちているとはいいがたい。
◆GHQによる祝日改変
ところで、文化の日、勤労感謝の日はそれぞれなぜこのように名付けられているのだろうか。
昭和23(1948)年にできた祝日法によると、文化の日は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日。勤労感謝の日は「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日となっている。しかしそれらがなぜ祝日なのだろう。わかるようで、わからない。
以前も少し触れたことがあるが、この、わかるようでわからない日本の祝日は、戦後の連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策に由来する。
一方的であり過度にすぎる見方だと筆者は考えているが、GHQは神道を軸とした日本の「国家主義」なるものを敵視した。祝日法に至るまでの日本の祝祭日は、神道や天皇制と結びついていた。11月3日は明治天皇の誕生日である明治節であり、23日は秋の収穫に感謝する新嘗(にいなめ)祭だった。
以下、鈴木英一氏『日本占領と教育改革』などを参考に進める。
戦争が終わる前からアメリカは戦後の日本の改革案を練った。日本の教育制度も検討された。1944年にまとめられた文書は、日本の教育の目的は命令に服従する国家の構成員を作り出すことであるとし、祝祭日も国民教化のために使われている、とみなしている。祝祭日に生徒を遠ざけよ、とまで言っている。
終戦の年の12月15日にGHQはいわゆる神道指令を出し、国家や自治体、公的教育機関の神道へのかかわりを禁じた。昭和23年には祝日について次のような方針を出した。
「国家神道の神話・教義・実践・祭礼・儀式・式典に起源と趣旨を有する祝日を廃止」
「新しい祝日の名称について好ましくない神道の用語を避ける」
事実上の強制だったといってよい。