日本の源流を訪ねて

針尾送信所(佐世保市) 開戦の暗号電文中継?

 「ニイタカヤマノボレ一二〇八」

 昭和16年12月2日。日米開戦を指示する極秘の暗号電文が、旧佐世保無線電信所(針尾送信所)の3本の無線塔を経由し、中国大陸や南太平洋に展開する部隊へ発せられた。真珠湾攻撃6日前のことだった。

 巷間(こうかん)こう語られるが、軍事機密であり、詳細はよく分かっていない。

 3本の塔は佐世保湾にある渦潮の名所「針尾瀬戸」を見下ろす丘にある。

 遠くからはアート作品のように見える。近寄れば、天に向かってそびえる威容に圧倒される。

 高さ135メートルの1、2号塔と高さ137メートルの3号塔。3本の塔は1辺300メートルの正三角形に配置され、中心部にはかつて電信室があった。直径は基底部で12メートル、頂上部でも3メートルある。塔内部には555段のはしごがある。

 大正7(1918)年に旧海軍の佐世保鎮守府が着工し、4年の歳月をかけて完成させた。総工費155万円は、現在の貨幣価値で約250億円とされる。

 頂上部には、空中線(アンテナ)展張装置が設置された。装置は1辺18メートル、重さは9トンあり、「かんざし」と呼ばれたという。老朽化で昭和50年代に撤去された。

 塔は鉄筋コンクリート製だ。設計者は海軍技師、吉田直(のぶる)氏(1884〜1950)で、同鎮守府の建築科長などを務めた。

 コンクリには塩分を含んだ海砂ではなく、川砂と川で取れる丸い石「玉石」を使った。玉石は一つ一つ水洗いし、布で拭いて混ぜたという。この巨大な構造物が、手作りだったのだ。

 こうした技術はフランスで発明され、明治28(1895)年、日本に導入された。

 およそ100年前のコンクリートだが、外観はひび割れもない。

 地元の有志でつくる「針尾無線塔保存会」の田平清男会長(74)は「鉄筋に使われた鉄の純度も高く、この先100年はもつだろう」と説明した。

 建設当時、無線をより遠くまで飛ばすには、高い位置から発信する必要があった。だから海軍は、これほど巨大な施設を建設した。

 戦後、しばらく米軍管理地となり、その後は海上保安庁と海上自衛隊が、共用で無線基地として使っていた。無線塔は、海自が平成9年に後継の鉄塔を建て、役目を終えた。

 建設から戦中の経緯と、わが国で現存する唯一の長波無線通信施設という歴史的価値が認められ、送信所は25年、国の重要文化財に指定された。

 田平氏ら保存会のメンバーは約100人を数える。現在、門衛所を復元中だ。かつて一帯は桜の名所だった。その姿を取り戻そうと、植樹もするという。

 (九州総局 村上智博)

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 所在地は長崎県佐世保市針尾中町750。車では西九州道の大塔インターチェンジから西海橋方面へ約20分。現在、3号塔を一部公開し、ボランティアガイド付きで説明会もある。年末年始を除き午前9時〜午後4時まで(午後3時半受付終了)。問い合わせは針尾無線塔保存会(電)0956・58・2718。

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