「…また、虐殺の一枚写真も、その背景から揚子江岸辺の現場が特定できる。1937年12月の数日間に南京で大量虐殺が行われたことが浮かび上がる」
ギャラクシー賞の主催団体が審査の後、番組が使用した写真は「虐殺写真」であると認識し、それを昨年12月の時点で公表しているのだ。懇談会の評価に基づくギャラクシー賞を辞退せず受賞したわけだから、日テレ側としても、番組で使用した写真を視聴者が「虐殺写真」と認識することに異論はなかったはずだ。
被写体ぴたり一致
10月16日付の記事では、番組がある写真を象徴的に用いていたこと、そしてその写真は、毎日新聞が昭和63年12月に読者提供の写真として掲載していることを指摘した。毎日が掲載した読者提供の写真は、その後、発行された毎日系の雑誌や、『大系 日本の歴史14』(小学館、1989年)にも収録されている。
これらの写真は、トリミングの違いによって写っている範囲が微妙に異なっているが、パソコンのソフトを使って縮尺を合わせ、重ねたところ、うつぶせになって倒れている被写体は、ぴたり一致した。
1993年刊行の新版『大系 日本の歴史14』に掲載されている写真と、番組に携わった日本テレビ記者が自著に掲載している写真は写っている範囲まで一致した。