暴言大統領

帰国の機中で「神のお告げでもう暴言はかない」と誓ったドゥテルテ氏 日本は米国のような態度をとらなかった

フィリピン南部ダバオの国際空港での訪日帰国の記者会見で、麻薬犯罪容疑者のリストをかざすドゥテルテ大統領=10月27日(吉村英輝撮影)
フィリピン南部ダバオの国際空港での訪日帰国の記者会見で、麻薬犯罪容疑者のリストをかざすドゥテルテ大統領=10月27日(吉村英輝撮影)

 オバマ米大統領だろうが、ローマ法王だろうが遠慮しないストレートな発言や、麻薬常習者への容赦ない対応などから国際的な関心を集めているフィリピンのドゥテルテ大統領。10月25~27日の大統領としての初来日を終えたばかりだが、ドゥテルテ氏の親日家ぶりとはどれぐらいのものなのか。

「憂い無しの碑」

 ネット上である動画を見つけた。撮影されたのは2013年10月7日。場所は、ドゥテルテ氏が20年以上市長を務めたダバオ市のミンタル。この地にある公共墓地は日本人居住者も埋葬されており、その一角に建立された慰霊碑除幕式の動画で、ドゥテルテ氏は記者団にこう語っている。

 「私たちには戦争などの歴史がある。だが、時間の経過とともに、私たちは忘れることを覚え、前だけをみている。日本はフィリピンにとても親切であり続けている。JICA(国際協力機構)はとても多くを与えてくれた」

 ドゥテルテ氏がこの除幕式に参加したのは、市長だからという理由だけではない。「憂い無しの碑」と刻まれた慰霊碑の土台部分には「人類は皆家族 ロドリゴ・R・ドゥテルテ」との文字が刻まれている。この慰霊碑は、ドゥテルテ氏が私費で建立したものだったのだ。

 ダバオ市中心部からやや外れた郊外にあるミンタルは、1900年代前半に日本人町として造られ、主にアバカ(マニラ麻)の生産にかかわる日本人移民が居住した。ミンタルという名前は多くの人が留まるようにという願いを反映し「民多留」と名付けられたとされる。

会員限定記事会員サービス詳細