オリンピズム

1964東京(4)打倒ヘーシンクに燃えた 岡野功「大きければ強いのか」

見下ろす青畳では、神永がへーシンクに抑え込まれていた=1964年10月23日、日本武道館
見下ろす青畳では、神永がへーシンクに抑え込まれていた=1964年10月23日、日本武道館

 父に連れられ、武道館に行った。小学1年だった。最後列の立ち見席で大男に囲まれて何も見えない。見かねた外国人に肩車され、ようやく見下ろした青畳では、神永昭夫がオランダの巨漢、アントン・ヘーシンクにけさ固めで抑え込まれていた。

 東京五輪で初採用された柔道で、母国日本は軽量級の中谷雄英、中量級の岡野功、重量級の猪熊功が金メダルを獲得したが、無差別級決勝でエース神永が敗れて、誰もがうちひしがれた。帰路の父も、本当に悔しそうだった。

 長じて新聞記者となり、多くの関係者と会う機会に恵まれた。猪熊は東京五輪翌年、打倒の秘策を胸にリオデジャネイロ世界選手権に向かうが、ヘーシンクは重量級で優勝し、翌日の無差別級を前に引退を表明した。

 猪熊は秘策もむなしく、ヘーシンク不在の無差別級で優勝した。「人の運は分からない。私が五輪でも世界選手権でも金メダルを取り、神永さんに一つもないとは。だが、ヘーシンクに敗れた神永さんと、戦えなかった私と、どちらが不運だったのかは分からない」と振り返った。

 岡野も打倒ヘーシンクに燃えた。「大きければ強いのか」と、80キロに満たない体で必殺の背負い投げに磨きをかけたが、対戦の機会は得られなかった。それでも無差別の全日本選手権で巨漢選手を投げまくり、2度の日本一に輝いた。講道学舎の弟子筋にあたる古賀稔彦がバルセロナ五輪の71キロ級を制しても、「同じ階級で勝っても当たり前」と、あくまで厳しかった。