検証・文革半世紀 第4部(5)

「毛沢東思想を海外で実践」と左派がドゥテルテ氏を英雄視 思想を毛氏と区別も個人崇拝復活の芽残す

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毛沢東思想は中国が文革中に推進した革命輸出政策に伴い、アジアや欧州、中南米にも影響を広げた。しかし、その思想の定義は難しいのが実情だ。「自己矛盾が多く、体系的に理論化された政治思想ではない」と指摘する研究者が多い。

共産党高官だった習仲勲(習近平の父親)が51年、重要会議で発言する際、毛沢東は事前に原稿をチェックし、「毛沢東思想」について「マルクス・レーニン主義と中国革命が結合したもので、中国共産党の指導思想で、中国人民革命の行動指針」と自ら定義し、党の公式見解となった。

その後、ソ連のスターリンが死去したことを受け、党内でも個人崇拝に反対する意見が高まり、56年に開かれた第8回党大会の公式文章で「毛沢東思想」という言葉はいったん消えた。しかし、数年後に復活し、文革中の毛への個人崇拝とともに絶対視された。

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中国国内でもう1人、海外の毛沢東思想の継承者といわれているのが、独裁者として名高いジンバブエの大統領、ムガベだ。独立運動を指導して約10年間投獄された際、英語版の毛沢東選集を読破したことはよく知られている。81年に訪中して最高実力者、●(=登におおざと)小平と会談したとき、「なぜ中国は文革を否定するのか」と不満を漏らしたことも、毛の支持者の間では有名だ。