【検証・文革半世紀 第4部(4)】林彪の再評価を避ける歴代政権 民間では人気回復、増える像 - 産経ニュース

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検証・文革半世紀 第4部(4)

林彪の再評価を避ける歴代政権 民間では人気回復、増える像

文化大革命(文革)中の1971年9月13日。中国共産党最高指導部で毛沢東に次ぐ序列2位だった党副主席の林彪(りんぴょう)が、妻や長男のほか側近数人と飛行機でソ連への逃亡を図り、モンゴル人民共和国内で墜落死した。いわゆる林彪事件だ。

それから40年後の2011年9月、娘婿の張清林と元部下の子弟ら7人がモンゴルの墜落現場を訪れ、ささやかな追悼式を行った。遺族による追悼はこれが初めてだったという。

「敬愛するお父さん、お母さん。あなた方は世にも不思議なぬれぎぬを着せられた」。張清林は泣きながら弔辞を読み上げた。

林彪の逃亡直後、周恩来にその事実を密告したとされる娘、林豆豆も参列を希望したが、当局から出国を認められなかったという。

張はその後、林彪らの遺骨を故郷の湖北省に移して墓に入れたいとの意向を表明し、大きな話題となった。しかし、政治的な影響などを考慮した当局が難色を示したといい、いまも実現していない。

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林彪の死から2年後、共産党中央は「資産階級の野心家、陰謀家、裏切り者、売国奴」とし、「党籍を永久に剥奪する」と決めた。文革中に打倒された共産党高官は数多くいたが、文革終了後、ほとんどが名誉回復された。林彪と同じく党籍を永久に剥奪されたはずの劉少奇も、死去から11年後の1980年に党籍回復している。失脚した主要な指導者の中で、林彪だけは公式評価が覆されていない。

林彪が逃亡した理由について、中国は公式見解で「クーデターを図ったが未遂に終わり、毛沢東暗殺を企てて失敗した」などとしているが、林彪が計画に直接関与したという信頼に足る証拠は今も出ていない。

客観的に考えれば、毛沢東より14歳年下で、すでに後継者に指名されていた林彪が積極的に毛を倒す動きに出るかどうか。

毛と林の関係悪化の原因については諸説ある。著名な歴史学者、高華の研究では、林彪が69年に長男、林立果を空軍作戦副部長に抜擢(ばってき)し、跡継ぎであるかのように宣伝し始めたことが毛の逆鱗に触れた。

毛が後継者に考えていた長男は朝鮮戦争で戦死しており、中国が林彪一族のものになることに我慢ならなかったとの説もある。

真偽はともかく、毛沢東の暗殺を謀り、国を裏切って海外に逃げようとした人物を再評価すれば、毛の否定そのものにつながりかねない。歴代政権が林彪の名誉回復を忌避してきた理由はこのへんにありそうだ。

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党は別として、林彪の人気は民間では回復しつつある。国民党との内戦で大活躍した林を「戦神」と持ち上げる声もある。

中国で最も権威がある総合辞書「辞海」では、林彪に関する記述が近年、徐々に変化している。79年版では「反革命政変を起こそうとした」「党に反対し軍を乱した」などの記述があったが、2009年版では、こうしたマイナスの記述がなくなっている。

近年、観光客誘致のため、故郷の湖北省などで林彪の像が次々と建てられた。16年現在、確認されただけで5カ所にある。文革後、各地の毛沢東像は次々と撤去されたが、わずかとはいえ林彪の像が増えるという当局にとっては皮肉な結果となっている。(敬称略)

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