「大川小津波訴訟」勝訴

「その日ばっかりは、一目散に逃げてほしかった」…12歳の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん 

【「大川小津波訴訟」勝訴】「その日ばっかりは、一目散に逃げてほしかった」…12歳の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん 
【「大川小津波訴訟」勝訴】「その日ばっかりは、一目散に逃げてほしかった」…12歳の雄樹君を亡くした佐藤和隆さん 
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「子供は悪くない」…悲劇語り継ぐ

 宮城県石巻市の北上川河口から西に4キロ。強い風が吹きすさぶ中に大川小の被災校舎がぽつんと立つ。当時6年生の三男、雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(49)が、訪問者たちにこの場所で起きた悲劇を語る。

 「あの近くで、雄樹は見つかりました」。校舎から先を指さし説明する。雄樹君はあの日の朝、黒のダウンを着て登校したが、見つかった遺体はグレーのパーカー姿だった。

 「寒かっただろうな」とふと思い出す。5年半の月日が流れても、校舎の前に立ち、息子のことを話すのはつらい。

 でも、最もつらく悲しい思いをしたのは亡くなった子供たち。それに比べれば、大したことはない。「事実を伝えることができるのは、生かされた大人である俺たちしかいない」。自身をそう奮い立たせる。

×  ×  ×

 「宝物だった」。三男坊の小学6年生。兄の姿を見てきたからか、小学生にしては大人びた部分もあったし、三男らしい幼さもあった。大人に向けて背伸びしたい時期だが、ふとしたときに甘えてくるなど、親から見ると幼い部分がまだまだあった。

 震災直後の4月には石巻市立大川中に進む予定で、野球部に入りたいと言っていた。運動神経もよく、キャッチボールは年々上手になっていた。元気でいてくれたら、少しずつ親離れしていったのだろう。

 佐藤さんは震災後、友人に誘われ市内の水耕栽培工場で勤め始めた。津波で浸水し、廃校となった大川中の跡地に工場は建っている。働き始めてから数カ月たった頃、ふと思った。ここは、息子が生きていれば毎日通っていたはずの場所だ-。

 「何で俺が毎日通ってるんだろう」

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