「大川小津波訴訟」勝訴

「ここに来れば娘に会えるような気がする」9歳の長女、未捺さんを亡くした只野英昭さん

 震災から3年余り。墓地を建て直したとき、未捺さんのためにピアノの形をした物入れを備えた。

 「やっと、約束のお返しを届けたよ。ママとおじいちゃんに弾いてあげてね」

 震災後、只野さんは哲也君と一緒に家族の思い出の場所に足を運んだ。

 最初はどこにも行けなかったという。レストランに行き、いつも4人で座っていた席に2人で座る。思わず涙がこぼれた。

 それでも、ありとあらゆる場所に行った。雄勝町の公園を訪れたとき、哲也さんが「未捺とここに来て、遊んだよね」とつぶやいた。それを聞いて、『こいつも前向きになれたんだろうか』とも感じた。

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 一方で、市の遺族に対する説明会での対応には落胆するばかりだった。震災発生当時の状況をつぶさに語った哲也さんの証言は、「子供の記憶は変わる」として切り捨てられた。

 悪しき前例は作りたくない。繰り返してほしくもない。「このままにはできない」。そんな思いで提訴に踏み切った。

 本来ならば、裁判にもつれこむような話ではないと思う。「こんな事やってるうちに、『次の大川小の悲劇』があったらどうするんだ」と憤りを感じる。

 仕事や裁判を進める傍ら、被災校舎に通い続けた。掃除をしたり、訪れた人たちを案内したり。ここで起きた悲劇を伝えてきた。「この場所に来てくれた人に、ここで何があったのか知ってもらいたい」

 つらいからと言って、何もしないわけにはいかない。しろえさんに「あんた、何してきたの?」と怒られてしまう。それより「ご苦労さま」と言ってもらいたい。そんな思いで、やれることを精いっぱいやってきた。

 最愛の娘を亡くした悲しみは癒えない。あの日、児童たちが裏山に避難せず、結果として津波にのまれた「空白の51分」がずっと続いているような感覚だ。

 「判決が出るまで、あの日をさまよっているような気がする」

(上田直輝)

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