大阪の中之島に淀屋橋を寄贈したことで知られる豪商・淀屋は、米の先物取引で巨万の富を築いた。ところが、幕府に目を付けられ、倹約令違反を口実に闕所(けっしょ)、すなわち財産を没収され、所払いを命じられる。当主の淀屋辰五郎は密かに鳥取藩主に接触し、番頭にのれん分けして倉吉で再興を図る。
▶倉吉市は江戸時代や明治の街並みを残す「山陰の小京都」として人気が高い。5年ほど前に旅したが、独特の赤瓦と白壁の土蔵群がかつての繁栄をしのばせる。歴史的建造物をうまく改修して、カフェやギャラリーなどに活用していた。震度6弱の強い揺れが襲った。瓦が落ち、しっくい壁も無残に崩れた。
▶鳥取は県東部の因幡(いなば)と西部の伯耆(ほうき)に分かれ、「雨の因幡」は変わりやすい天候に耐えるがまん強い気質。「風の伯耆」は大山から吹き下ろす強風に立ち向かうたくましさがある。どちらも助け合って生きる結束力が強い。淀屋の縁がある大阪も復興のお役に立ちたい。