五木寛之さん、遠望する「青春の門」 完結へ84歳の挑戦

 五木さんはこんな結末を構想しているという。漂流を続けた信介が29歳で筑豊に戻り、閉山で荒廃した故郷をボタ山の上から眺める。そして自分の青春が終わったことを実感する-。それは、日本という国の青春の終焉(しゅうえん)とも重なる。

 「そうは言いましたが、建築的、構造的なヨーロッパの小説に対して、僕の小説は出たとこ勝負で即興的。風に吹かれてどこへ行くか。結末もどうなるかわかりません」

 結末がどうなるにしても、五木さんはどんなふうに物語を織り上げていくのだろう。

 自身を「海山稼ぐ者」、つまり殺生や遊芸を生業とする者と規定する五木さんは「できるだけ通俗的な物語として書いていきたい」という。41年に『さらばモスクワ愚連隊』でデビューしたときから、自身の小説を「軽薄」と同義であった「エンタテインメント」と呼んでいた五木さんらしい言葉である。同時に「昭和という時代の空気を描きたい。空気は小説でこそ描けると思います。物語の舞台は半世紀前です。これだけ時間的な距離が空けば、新時代小説として書けるはず」とも。

 インターネットの影響も大きいのだろう、時間をかけて大河小説を読むということがなくなり、例えばロジェ・マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』のような長い物語が、書店の書棚から次々と姿を消している。この流れに対して五木さんは「反時代的でありたい」と、物語作家としての自負心をたぎらせる。

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