旧日本軍の膨大な史料や証言を詳細に分析し、『再現 南京戦』(草思社)で実像に迫った亜細亜大教授の東中野修道は、番組を視聴した感想をこう語る。
「南京陥落後も日本軍と中国軍は城内外で一触即発の状況が続いていたことと、捕虜(POW=戦争捕虜)をめぐる具体的状況が一切示されていない。バランスを欠く構成だった」
◆暴れる捕虜にやむなく発砲
番組は昭和12年12月16、17日に南京城外の揚子江岸で、大量の捕虜が旧日本軍によって殺害されたと伝えた。この捕虜は南京郊外の幕府山を占領した歩兵第103旅団の下に同年12月14日に投降してきた大量の中国兵を指す。東中野は前掲の著書で、おおよそ当時の状況を次のように再現した。
16日の揚子江岸での処刑対象は宿舎への計画的な放火に関与した捕虜だった。17日は第65連隊長、両角業作(もろずみ・ぎょうさく)の指示で、揚子江南岸から対岸に舟で渡して解放しようとしたところ、北岸の中国兵が発砲。これを日本軍が自分たちを殺害するための銃声だと勘違いして混乱した約2千人の捕虜が暴れ始めたため日本側もやむなく銃を用いた。
17日には日本軍側にも犠牲者が出た。このことは捕虜殺害が計画的でなかったことを物語るが、番組はこうした具体的状況やその下での国際法の解釈には踏み込まなかった。