オリンピズム

1964東京(2)チャスラフスカの恋 「エンドウを知っていますか」

チャスラフスカのこの笑顔が、日本中をとりこにした=1964年10月、東京五輪
チャスラフスカのこの笑顔が、日本中をとりこにした=1964年10月、東京五輪

 東京五輪の体操女子個人総合を制したベラ・チャスラフスカほど、日本を愛し、日本に愛された選手はいないだろう。8月30日、故郷プラハの病院で亡くなった。74歳。「東京の恋人」と呼ばれ、優雅で柔らかな女性美で、多くの日本男性の心をつかんだ。

 恋の噂もあった。例えば東京五輪体操男子個人総合優勝の遠藤幸雄。1962年、プラハの世界選手権で2人はともにソ連選手に敗れて2位となり、東京五輪での優勝を誓い合った。互いにこれを口外しないよう約束し、文通を始めた。多くは絵はがきの近況報告で、恋の言葉どころか、金の誓いに触れることさえなかった。それは2人の暗黙の了解でもあったという。

 もっとも遠藤にはすでに妻子があり、チャスラフスカは遠藤の息子も愛した。生前の遠藤に彼女との恋愛感情について聞いたことがある。「いや、ないですよ。あったのはライバル意識だけです」と苦笑した。33年前の話だ。

 伝説もある。大会中の1日、彼女の消息が分からなくなった。後日ささやかれたのは、お忍びで東京見物にでかけ、同行したのは新聞記者らしい。疑われたのは本紙の若手記者だった。もの静かでスマートなその先輩記者は、10年前に66歳で亡くなった。

 真偽は不明だが、彼女は自伝「オリンピックへ 血と汗の道」(サンケイドラマブックス)に、黒髪のかつらにネッカチーフ、サングラスで変装した東京見物について書いている。彼女が渋谷で見たのは交通事故の顛末(てんまつ)だった。

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