七之助が踊るのは「汐汲(しおくみ)」。能の「松風」をもとに、須磨に流された在原行平に愛された海女の苅藻が、都に帰っていった行平を思いながら形見の烏帽子と水干を身につけて舞う。
「女性の恋心や寂しさをしっとりと表現できれば。かつて寵愛を受けたありがたさもあるが、捨てられた傷もある。能から来た踊りですのであくまでも粛々と。でもそのなかに情感や情緒を込めたいですね」
「汐汲」を踊るのは初めてだが、平成26年1月、大阪松竹座で、玉三郎と2人で、「汐汲」を二人立ちに変えた「村松風二人汐汲(むらのまつかぜににんしおくみ)」を踊ったことがある。
「その際、玉三郎のおじさまの美しさに圧倒されながら、中啓(ちゅうけい)(扇の一種)の開き方など、さまざまなことを学ばせていただきました。今回の踊りにぜひ生かしたいと思っています」
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父、勘三郎が亡くなって4年がたとうとしている。
「僕たち兄弟の芸の基盤を作ってくれたのも、進むべき道を示してくれたのも父でした。父の志は必ず受け継いでいきたい」
公演に稽古に忙しい毎日だが、時間ができると芝居や映画を見に行く。「それしか興味がないんですよ」。困った顔で言ったあと、「芸と肉体が最高の状態でバチッと合う期間って俳優人生の中できっとすごく短いと思う。いつ来るかわからないそのときのために準備をしておきたい」。