西論

「海道東征」再び 戦後の偏り超え響く詩と音

 この詩風を白秋は蒼古(そうこ)調と呼んだ。蒼古とは辞書的には古びていて深みがあるさま(大辞林)だが、「海道東征」の詩句の通り、太古に通じる蒼空の印象で読みたい。ある童謡論で白秋は、童謡のふるさとは日本のよい蒼空にある、との意を書いている。

 「海道東征」では民謡や童謡のような詩句もちりばめ、それらをはるかな神代に連ねさせた。この詩を収めた詩集の巻末記で、「貫通するところのものは日本精神であり」、と書いている。

 このような日本回帰という精神の動きは白秋に限らない。日米開戦後、「文学界」でなされた「近代の超克」特集に集った評論家、思想家をはじめ、戦前・戦中の日本で共有されたものだった。西洋近代と対決するその思想を論考した中国文学者、竹内好(よしみ)によると、「近代の超克」は戦中の知識人にとって流行語となったが、戦後は「悪名高き」と冠されるのが慣習化されるほど悪玉扱いされた。

 ◆蒼空の高みから

 「海ゆかば」で知られる信時潔(のぶとき・きよし)が曲を付けた音楽作品として「海道東征」を聴いたのは、さらに後だった。詩のみならず、気高く清澄であり、ときに可憐(かれん)な曲調を持つこの作品は、古今と東西をも融合させ、比類がない。

 当欄などで筆者は何度かこの交声曲について書いた。戦後日本の風潮のなかで、この曲が忘れられたことも触れた。「海道東征」に限らず「日本精神」なるもの自体が戦後の長い期間、忌避されてしまったといってよい。悪玉扱い、である。

 しかし、民族の原点を確認しようとする精神が否定されてよいはずがない。過去を断絶して得た戦後民主主義なるものの果てが、鎮守の森にすらさらされた芥(あくた)の数々であるとするなら、なんとおぞましいことか。