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近代中国の文豪、魯迅がぜんそく発作によって上海市内で亡くなったのは1936年10月19日。55歳だった。今年は没後80年、生誕から135年にあたる。
魯迅が晩年を過ごした旧居が市内の山陰路に残されている。1930年代、数万人の日本人が暮らしていた日本租界とも呼ばれた虹口(ホンキュ)の一角にある、3階建てレンガ造りの瀟洒(しょうしゃ)なアパートだ。
山陰路はかつてスコット路と呼ばれた。旧居から通り沿いに歩いて数分先、現在は四川北路となっている場所に、魯迅が通った「内山書店」の所在地を示すプレートがかかっている。
日本人の内山完造(1885〜1959年)が開いた書店で、日中の文化人が集まるサロンとなり、プレートには魯迅と内山の2人の姿が刻印されていた。
初秋の週末、魯迅をしのぶ散歩に出たのは、魯迅が作品を通じて訴え続けてきたことが、いまなお指導者には届いていないのではないか、と感じたからだ。
紹興酒で知られる浙江省紹興で1881年9月25日に生まれた魯迅(本名は周樹人)。医学を志して1905年に初の中国人として仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に留学したが、当時、虐げられていた中国人の姿をみて、医学よりも「むしろ最初に果たすべき任務はかれら(中国人)の精神を改造することだ」(短編集「吶喊(とっかん)」の自序)との思いを強くし、文芸の道から「中華民族の覚醒」を求めようとした。