当初、カリモフ氏はロシアと距離を置き、米国に接近した。特に2001年9月11日の米中枢同時テロ後のアフガニスタン戦争で、米国の軍事作戦を積極的に支持した。この過程で、米国がウズベキスタンの内情を知り、カリモフ政権は民主主義とかけ離れた独裁体制であるという認識を抱くようになった。米国とウズベキスタンの関係は悪化していった。それと同時にカリモフ氏はロシアのプーチン大統領に接近するようになった。ただし、ロシアが主導権を握ることになるユーラシア共同体構想からは距離を置いている。
3日、サマルカンドで行われたカリモフ氏の葬儀には、ロシアのメドベージェフ首相、タジキスタンのラフモン大統領、トルクメニスタンのベルドイムハメドフ大統領が出席した。欧米諸国の元首級が参列しなかったところに、現在のウズベキスタンの政治に対する評価が端的に表れている。
ミルジヨエフ首相が後継大統領になるとの観測が強いが、ウズベキスタンの独裁は、カリモフ氏のカリスマ性に依存するところが大きかった。カリモフ氏は自らを中央アジアのモンゴルのチュルク系軍事指揮官でティムール帝国の創設者であるティムール(1336〜1405年)になぞらえるイメージ操作を行っていた。