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鎌倉時代の弘安4(1281)年7月30日夜。九州北西部の伊万里湾に浮かぶ鷹島(長崎県松浦市)周辺には、文永11(1274)年に続いて蒙古から再来襲した4400隻の船と14万人の大軍が押し寄せていた。だが、台風による暴風雨が吹き荒れ、大半は海中に没したという。日本を国家存亡の危機に陥れた元寇から730年。そのときの軍船とみられる沈没船が2011年と14年、立て続けに海底から見つかり、周辺海域は水中遺跡で初の国史跡に指定された。長い眠りから目覚めた軍船は謎多き元寇の真相をどう物語るのか-。日本の水中考古学における大発見に、26年前に潜った海への興味を再びかき立てられた。
†「必ず見つかる」
「730年前の海難を証明する沈没船の発見。興奮を抑えきれませんでした」。松浦市教委の中田敦之文化財課長は、元寇の謎に迫る大発見に沸いた当時をそう振り返る。
元寇最後の激戦地・鷹島の南岸沖合は船団が沈没した海域として古くから知られ、地元の漁師らによって壺や刀剣など蒙古軍ゆかりの品が引き揚げられる「水中考古学の宝庫」。だが、鎌倉時代の絵巻物「蒙古襲来絵詞(えことば)」に残された元寇船の全貌を明かすような発見はなかった。