亀岡典子の恋する伝芸

「安珍・清姫伝説」の鐘の数奇な運命 紀州に攻め入った秀吉が京都に運び、いったんは里帰りも再び…

鐘にこもる様々な人々の思い

 ではなぜ、道成寺に鐘がないのだろうか。

 道成寺によると、最初の鐘は道成寺創建(701年)のころ作られたそうだが、資料は残っていない。二代目の鐘は南北朝時代、源万寿丸という豪族が本堂を建て、釣鐘も鋳造させた。しかし、天正13(1585)年、豊臣秀吉が紀州に攻め入った際、この鐘を京都に運び込んだという。

 平成16年、鐘は420年ぶりに道成寺に里帰りした。しかしいまはまた、妙満寺にある。

 今年の京都・先斗町歌舞練場の「吉例顔見世興行」(11月30日〜12月25日)では、実力派の女形、五代目中村雀右衛門の襲名披露狂言として、「京鹿子娘道成寺」が上演される。

 先日、公演の成功祈願のため妙満寺を訪れた雀右衛門は初めて鐘に対面。「鐘に思いがこもっているのを感じました」と感慨深げ。「『京鹿子娘道成寺』を踊るにあたり、改めて心が引き締まりました」

 確かに、数奇な運命をたどった安珍・清姫伝説の鐘をじっと見入っていると、古今、さまざまな人たちの思いがこもっているようにも見えてくる。雀右衛門におおいなるインスピレーションを与えた鐘。師走に上演される「京鹿子娘道成寺」が楽しみだ。

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