日曜に書く

GHQの呪縛を脱し日本人の音楽を取り戻そう 論説委員・河村直哉

戦後初めて大阪で全曲演奏された「海道東征」のコンサート=2015年11月22日、大阪市北区のザ・シンフォニーホール(恵守乾撮影)
戦後初めて大阪で全曲演奏された「海道東征」のコンサート=2015年11月22日、大阪市北区のザ・シンフォニーホール(恵守乾撮影)

 夜半に静かな秋の風が混じるようになったところで、まず童謡「里の秋」の話を少し。

改められた歌詞

 外地からの引き揚げ者を励ますラジオの番組で、昭和20年12月に流された。よく知られた美しい歌だが、歌詞の一部は改められている。

 父の無事の帰還を祈るというのが、現在の歌詞。しかしもとの詩の後半は、父の武運を祈り、自分も大きくなったら兵隊になって国を守るという内容だった。放送前、作曲者の依頼に応じて作詞者が書き換えた。

 ほかにもある。元気のよい「汽車ポッポ」。もとは汽車に乗った兵隊を見送る「兵隊さんの汽車」という歌だった。やはり終戦の年の暮れにNHKの歌番組で歌われる際、作詞者によって改められた。

 占領下、連合国軍総司令部(GHQ)による検閲があった時代だった。新聞や出版、放送など対象はメディア全域に及んだ。戦争擁護、神国日本、軍国主義、ナショナリズムなどの宣伝。東京裁判や、GHQが憲法を書いたことへの批判。評論家の江藤淳によると、終戦翌年の米国の資料で検閲指針は30にのぼっている(『閉された言語空間』)。

 検閲を意識せざるをえなかった当時の事情を考えると、「里の秋」や「汽車ポッポ」の歌詞が改められたのも、いたしかたないことではある。現在の形の2つともすてきな曲でもある。

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