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44人が死亡した東京・歌舞伎町のビル火災から9月1日で15年。救急活動にあたった菊池真紀夫消防司令(53)=現第6消防方面本部課長補佐防災係長=が、産経新聞の取材に応じた。犠牲者が折り重なるように倒れていた凄惨(せいさん)な状況を振り返りながら、時間の経過が火災の記憶を風化させつつあると感じている。
排気口の下の遺体
平成13年9月1日午前0時59分、東京・歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル」から火災発生の一報が入った。「あれならすぐに終わりそうだ」。東京消防庁新宿署救助隊長だった菊池さんは黒煙が細く立ち上る様子を見て、こう感じたという。だがその期待は「逃げ遅れが大勢いる」という指揮隊の一言で吹き飛んだ。
ビル内部では唯一の脱出経路である階段が激しく燃え、足下の陶器製のタイルは炭のように赤く光っていた。金属の階段柵が熱で液体となって滴り落ちる中、出火元である3階のマージャン店「一休」にたどり着く。奥の厨房(ちゅうぼう)に1カ所だけある2メートルの高さの排煙口付近には、そこから逃げだそうとして力尽きた人が折り重なって倒れていた。
地獄絵図は4階の飲食店「スーパールーズ」にも広がっていた。火の勢いは弱かったが、階段にはあちこちに荷物が置かれ、通路としての機能を失っていた。窓もなく、室内にいた28人全員がなすすべくもなく息絶えていた。