宮沢賢治生誕120年

20歳で旅した秩父路 熊谷に降り立った「未来の詩人」 別れ惜しむ歌碑も 

【宮沢賢治生誕120年】20歳で旅した秩父路 熊谷に降り立った「未来の詩人」 別れ惜しむ歌碑も 
【宮沢賢治生誕120年】20歳で旅した秩父路 熊谷に降り立った「未来の詩人」 別れ惜しむ歌碑も 
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 JR熊谷駅から歩いて約15分。猛暑の街で、歌碑は八木橋百貨店(熊谷市仲町)の前に静かに建っていた。

 〈熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ〉

 〈武蔵の国熊谷宿に蠍座(さそりざ)の淡々ひかりぬ九月の二日〉

 詩人で童話作家の宮沢賢治は、100年前の大正5年9月、盛岡高等農林学校2年時に地質学・土壌学に関する校外学習を行う「地質旅行」に参加し、秩父地域を恩師や級友らと巡った。その旅の始まりが熊谷だった。

 賢治はドイツ語の講習会受講のため7月末から東京に来ており、上野で他の学生らと合流し列車で熊谷に向かったとみられる。山梨県の実家に帰省中だった友人の保阪嘉内に宛てたはがきには「今博物館へ行つて知り合ひになつた鉱物たちの広重の空や水とさよならをして来ました。又ニコライの円屋根よ。大使館の桜よ。みんな さようーなら。」と記されている。

 賢治の歌からは、一行が歌舞伎や浄瑠璃の演目として有名な熊谷(くまがい)直実(なおざね)とゆかりのある熊谷(ゆうこく)寺を訪れるなど、熊谷の町を散策したことがうかがえる。歌碑を前にすると、その奥に熊谷寺を望むことができる。青々とした木々の中に、どっしりとした鈍色の屋根が光を反射していた。

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