戦後71年

神風特攻第1号、「軍神」と呼ばれた男…遺品から浮かび上がる関行男の素顔と生き様

 展示室には、神風と書かれた本人の鉢巻きが一つ。筆書きで「名誉ノ戦死ヲ悼ミ謹ミテ弔意ヲ表ス」と海軍大臣米内政光の弔意が一枚あった。

 翌20年8月15日、終戦。以後、「軍神の母」とたたえられたサカエに対し、世間は手のひらを返したように冷ややかになったという。草もちの行商は廃業せざるをえなくなり、石鎚山(愛媛県西条市)山中の石鎚中学へ住み込みの小使いとして暮らし、小使宿舎で生涯を閉じた。

 遺品はサカエの親戚から寄託されたものと推察される。サカエが生涯、大切にしていたものなのだろう。

 展示品の中に、詩文がつづられたひと際目立つパネルがあった。関中佐が出撃前の10月7日に記したものとされ、心の在りかがそのまま結晶したような言葉が続く。

 「乙女たちはか弱い力で その美しさを保っている その美しさを滲み出させてはならぬ その美しさを少しでも落させてはならぬ 強き者よ 汝を慎め 汝が言葉が如何に乙女たちを打ちひしぐかを知れ 去ろう いさぎよく それが死んで行く勇者たちの最後のはなむけなのだ」

 苦労して育ててくれた母へ、結ばれて間もない新妻へ、あふれる愛情を抱きしめるように封印し、関中佐は、散ったのである。23年の生涯だった。

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