戦後71年

神風特攻第1号、「軍神」と呼ばれた男…遺品から浮かび上がる関行男の素顔と生き様

 きちょうめんな文字で書かれた遺書には、実家の母・サカエに宛てて「幼時より御苦労ばかりおかけし、不幸の段、お許し下さいませ」とあり、妻・満里子の両親には「本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いることも出来ず征く事を、御許し下さいませ」と記していた。

 そして「満里子殿」で始まる文面は、新妻に語りかけるような優しさがあふれていた。

 「何もしてやる事も出来ず散り行く事はお前に対して誠にすまぬと思って居る。何も言わずとも 武人の妻の覚悟は十分出来ている事と思ふ 御両親様に孝養を専一と心掛け生活して行く様 色々と思出をたどりながら出発前に記す 恵美ちゃん坊主も元気でやれ」

 恵美ちゃん坊主は妻の妹のこと。教官時代の教え子にも「教え子は 散れ山桜 此の如くに」と辞世を残した。

残されたものたち

 10月25日、「敷島隊」を率いて出撃。このうち関中佐ほか4機が米艦隊を発見し、攻撃を決行。250キロ爆弾を搭載したまま護衛空母「セント・ロー」に体当たりし、撃沈させた。同日、大本営はラジオでこの戦果を発表すると新聞、週刊誌などは特集を組み、実家前には「軍神関行男海軍大尉之家」と記された標柱が建てられるほどになった。

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