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表彰台の中央で、バドミントン世界一のペアが感極まっていた。「本当に一番になったんだな」(高橋)「バドミントンの会場で君が代を聴ける日が来ると思っていなかった」(松友)
「タカマツ」ペアは1992年バルセロナ大会にバドミントンが正式競技となって以来、日本初の金メダルをいとおしそうに見つめていた。
日本のバドミントン史を塗り替えたペアは、意外にも「余り物」(高橋)から生まれた。2人は聖ウルスラ学院高(仙台市)の先輩と後輩。高橋が2年、松友が1年の秋、部員全体の組み替えが行われ、突如ペア結成が決まった。
同校バドミントン部の田所光男総監督は「最後に発表したんじゃないかな。『誰か余ってないか』という感じで(決まった)」と振り返る。パワーのある高橋と、うまさのある松友を組ませたら面白くなる程度の発想。2人はシングルスが専門、ダブルスの主力としては考えていなかったからこそ、学年の違うペアになった。
しかし、結果的にこれがはまった。翌年には全国高校総体で優勝。高橋が高校3年で初めて挑んだ全日本総合選手権でも3位に入った。松友が高橋を追うように日本ユニシスに入社し、ダブルスに専念することを決意すると、ペアとしての力も飛躍的に向上した。