正論

戦後71年に思う 今の時代、誰が地元の墓を維持するのか、自分の遺骨はだれが供養してくれるのだろうか…転機を迎える日本人の死生観 日本大学教授・先崎彰容

日本大学・先崎彰容教授
日本大学・先崎彰容教授

 真夏の日差しは、盆の季節である。幼少のころ、祖母の傍らで茄子(なす)の馬を造り、胡瓜(きゅうり)に足をつける手伝いをし、家の前においた。仏壇から降りてくる線香のあまさが、死者が近くに来ることを幼い私にも告げしらせた。それは1980年代、昭和が終わるころの思い出である。

社会構造が変える死後のあり方

 だが、このどこまでも懐かしい光景は、蝉(せみ)しぐれの大きな庭の田舎家で行われたのではない。東京は西武線の終点、多摩湖近くの平屋の都営住宅での出来事だった。「家」の前にはすえた臭いのする川が流れていて、川向こうには「一銭店」と呼んでいた駄菓子屋があった。祖母からもらった百円を握りしめ、私は飴(あめ)とメンコを求め、妹はピンク色に光る指輪を買った。甲信地方の田舎町で食い詰め、都会の片隅に住み着いた祖母は独り暮らしだった。だから夏休みになる度に、私たち兄妹はあずけられ、川の橋を渡り、菓子を食い喧嘩(けんか)をし、少し遠出をして多摩湖まで夕日を見にでかけた。

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