正論

戦後71年に思う 今の時代、誰が地元の墓を維持するのか、自分の遺骨はだれが供養してくれるのだろうか…転機を迎える日本人の死生観 日本大学教授・先崎彰容

だれが供養してくれるのか

 しかし高度成長期、若い労働力が一息に都会に流れ込んだ。地元を離れ家庭をもった彼らは、両親と子供の核家族を生みだした。結果、地方では墓を維持する主人公が失われ、一方、都会の家族は子供が巣立つことで自身が高齢者になった。わが国は単身世帯、しかも高齢者の単身化が問題になっているのだ。

 自らが死者の列になったとき、誰が地元の墓を維持するのだろう。また、そもそも自らの遺骨を、いったい誰が供養してくれるというのか。

 こうした切実な悩みが、先の「永代供養墓」を生みだす背景にはあった。生前選んだ寺院が、死後の自らの遺骨を永代にわたり供養してくれるからだ。社会構造の変化が、私たちの墓と遺骨にまつわる行為にまで影響を与えている。つまり日本人の死生観にまで、深く関わっているのである。

 中世日本思想が専門の佐藤弘夫氏によれば、墓や遺骨に対する日本人の考え方は、歴史上大きな変遷を繰り返してきたという。たとえば平安時代以降の一時期、列島からは墓が消える。墓所に霊魂がいて、個人名がついた墓ができるのは、戦国時代以降であり、中世には、霊魂は墓の周辺にいてはならないもの、うまく供養されていないものとされていた。さらに私たちは遺骨を大変、重視するが、古くは骨や遺体よりも、大事なのは霊魂の純化にあった。危害を加えられないように、救済されずに彷徨(さまよ)わないように、霊魂を鎮めることが大事なのであった。

 霊場へ持ち込まれた骨などは、その後、ほとんど関心を払われなかったのである。個人の墓石や骨に重大な意味を見いだし墓参りをするのは、江戸時代以降のことなのだ。私たちの周囲にある檀家制度の危機と崩壊は、この江戸時代以来の伝統のうちにあるのである(佐藤弘夫著『死者の花嫁』)。

墓に霊魂がいるとは思えない

 思えば都営住宅に流れつき、精霊馬を造っていたわが祖母は独り身であった。そして私が中学生のころ、修学旅行から帰ると、祖母は遺骨になっていた。旅行先での動揺を恐れた母が、突然の死を知らせなかったからである。

 あれから四半世紀以上の時がたつ。祖母は生前、武蔵嵐山に墓を購入していた。そこは一切の縁もゆかりもなく、ただ物憂い武蔵野の最北端の丘の上にある。だから私はいまでも、祖母がそこにいるとは思えない。たとえ遺骨と墓碑があろうとも、祖母の霊魂があるように思えない。

 だからごく稀(まれ)に、私は西武線に乗る。終点の駅を降り、祖母がいつも待っていた踏切で一休みし、まことにささやかだった家を目指す。そこには6階建てに新築された都営住宅しかないが、川は元のままだ。確かに祖母はここにいて私を見ている。真夏の日差しが私と祖母を包んでゆく…。

日本大学教授・先崎彰容(せんざき あきなか)

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