浪速風

「復興」を宿命づけられた生涯

阪神大震災からの復興をめぐっては、首相の諮問機関として設置された「阪神・淡路復興委員会」の第1回会合で「焼け太りは認められない」という声が上がった。震災前の水準までは政府が全面的に支援するが、それ以上は全国的な均衡上、特別な支援はできないというのだった。

▶貝原俊民兵庫県知事が目指した「創造的復興」はいきなり壁にぶち当たったが、道を開いたのが委員長の下河辺淳(しもこうべべ・あつし)さんである。5次にわたる全国総合開発計画すべての策定に携わった「ミスター全総」は、被災地の意向を最優先に、さらに全国の地方都市のモデルになるような復興を成し遂げたいという知事に理解を示した。

▶関東大震災の1カ月後に生まれ、東大在学中に終戦を迎えて戦災復興都市計画に参画し、卒業後は戦災復興院に入った。復興の先頭に立つのは宿命だったのか。阪神大震災では仮設住宅を回り、教訓を伝えることにも心をくだいた。次の出番があっても、もう頼れない。