熊本のご当地グルメといえば「馬刺し」や「辛子レンコン」がおなじみだ。だが、ふりかけの「御飯(ごはん)の友」も外せない。
御飯の友は大正初期に誕生した。食糧難にあえぎ、日本人はカルシウムが慢性的に不足していた。
そこで、熊本の薬剤師の吉丸末吉氏は「魚を骨ごと細かく砕き、味付けして、ご飯にかければおいしいはず」と、「ふりかけ」に着想を得た。味付けには煎り胡麻やのりなどを用いた。魚の生臭さを消すための工夫だった。
ふりかけの起源は、大正から昭和初期にかけ全国数カ所で生まれた。御飯の友は業界団体「全国ふりかけ協会」(東京)から「元祖」だと認定された。
吉丸氏の考案したふりかけを2代目の鳥越義弘社長が世に広めた。いまや、総菜を含め、同社の商品は200種類を上回るまで成長した。その礎を築いた。
現在の4代目社長、安部直也氏(38)は「御飯の友はとかく、スーパーで見かける袋詰めのタイプを連想しがち。でも、実は大正時代の瓶入り復刻版なども取り扱っているんですよ」とPRに余念がない。
大分大工学部から半導体大手メーカーに入社し、技術開発を担当した。そこで、鳥越氏のまな娘と出会った。平成20年にフタバに入社し、昨年6月、社長に就任した。
近ごろはスーパーなどのバイヤーに向けた提案も面白いと感じるようになった。「熊本、九州の特産品とコラボレーションを図るなど、商品の付加価値向上を探りたい」
安部氏はそんな開発者魂をのぞかせる。
同社は一連の熊本地震で被災した。4月14日の「前震」で倒れた工場の原料缶の片付けが、ひと段落したところにまた、震度7の揺れが襲った。ふりかけの生産が止まった。
それでも歯を食いしばり、社員一丸で復旧に努めた。その結果、2週間ほどで生産を再開できた。
「地震を経験したことで従業員は踏ん張り、その結束は一層、強まった」
そう振り返る安部氏には、忘れられない出来事がある。本社近くに開所した4カ所の避難所から、ふりかけに感謝する被災者の声がやまなかったことだ。
在庫のふりかけを数種類、支援物資として届けた。その先にはいつも、ふりかけのかかった握り飯をおいしそうにほおばる被災者たちの笑顔があった。
「握り飯はあっても、おかずがない。そんな非常時に改めて、御飯の友の価値を再認識できました」
安部氏は熊本県民が愛してやまないロングセラー商品の、さらなる飛躍を心に誓っている。(南九州支局 谷田智恒)
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「御飯(ごはん)の友本舗」としての創業は大正初期。昭和9年、合資会社「二葉商事」が設立され、49年に株式会社化された。60年、ふりかけ製造販売部門を独立させて「フタバ」に商号変更した。資本金1000万円。従業員はパートを含め48人。熊本市西区島崎2の9の8。