北関東怪奇伝説

得体の知れない木像が安置された観音堂で夜な夜な小豆を研ぐ音が…佐野・龍江院の伝説はなぜ生まれたのか?

 漂着後、エラスムス立像は、大分・臼杵(うすき)城主から旗本の牧野家の手に渡り、牧野家の菩提(ぼだい)寺である龍江院に納められたという。後に観音堂でマリア像も見つかり、隠れキリシタンとの関わりも指摘される。郷土史家の京谷博次さん(83)は「禁教令下、発覚を恐れるために伝説が生まれ、人を近づけないようにしたのではないか」と推測する。

 数年前から地元住民の間で、木造エラスムス立像の顕彰運動が盛んになっている。「市民の宝であり、末永く親しまれる存在であってほしい」と龍江院住職の大沢光法(こうほう)さん(70)。東京国立博物館(東京都台東区)に寄託され、既に80年以上が経過し、住民の間では里帰り展示を望む声が持ち上がっている。 (宇都宮支局 川岸等)

 ■木造エラスムス立像 高さ121センチ。寄託先の東京国立博物館では常時展示されていない。原寸大のレプリカが佐野市郷土博物館(同市大橋町2047、(電)0283・22・5111)で常設展示されている。同館は足尾鉱毒事件の解決に奔走した田中正造の資料約1万3千点を所蔵し、随時公開している。

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