北関東怪奇伝説

得体の知れない木像が安置された観音堂で夜な夜な小豆を研ぐ音が…佐野・龍江院の伝説はなぜ生まれたのか?

【北関東怪奇伝説】得体の知れない木像が安置された観音堂で夜な夜な小豆を研ぐ音が…佐野・龍江院の伝説はなぜ生まれたのか?
【北関東怪奇伝説】得体の知れない木像が安置された観音堂で夜な夜な小豆を研ぐ音が…佐野・龍江院の伝説はなぜ生まれたのか?
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 今から約400年前、古寺、龍江院(佐野市上羽田町)の観音堂に、えたいの知れない木像1体が納められた。全体が黒光りし、異人のように目鼻立ちが整っている。頭巾のようなものをかぶり、見慣れない衣装をまとっている。

 以来、夜な夜な、その観音堂の中から「ザザー、ザザー」と小豆を研ぐ音が聞こえるようになった。包丁を研ぐ音にも聞こえ、村人は恐れた。

 「悪いことはするな。観音堂の小豆研ぎばばあがやって来て、捕まって食べられるぞ」。悪ガキ小僧への戒めとして伝えられた。

 「カテキ様」とも呼ばれ、夜になるとムジナに化けて村内をうろつき、歌いながら踊ったり、村民をだましたりした。ある晩、村人が懲らしめようと鉄砲で撃ったところ、姿を消した。木像の頭と腰のへこみは「その時の傷跡」と住民に語り継がれてきた。

 時が流れ、約300年後の大正時代、県考古学の草分け、丸山瓦全(がぜん)が世間に公表し、その木像の正体がようやく判明する。ルネサンス期の神学者、エラスムスの像で、慶長5(1600)年、大分に漂着し、日蘭貿易の端緒となったオランダ船リーフデ号の船尾像だった。乗組員には、後に徳川家康の外交顧問となったウィリアム・アダムス(三浦按針(あんじん))、ヤン・ヨーステンらがいた。

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