杉山清貴に聞く

ソロデビュー30周年で妹分の菊池桃子48歳とデュエットも…「やっと自分が表現すべき言葉が分かってきた」 

 ソロデビューが決まった途端、「自分でシングルを書かなきゃいけないプレッシャーに襲われた」。バンド時代は、康珍化、林哲司による数々の曲が中心で、杉山らが書くのはシングルのB面やアルバムの中の1~2曲だった。「それまでのヒットを体験していたので、(自分で)それをやらなきゃいけないという。プレッシャーというよりも、うわあ大変なことになっちゃったなあという感じでした」

 結果的にコーヒー飲料のCMソングとして大ヒットした「さよならのオーシャン」も、「1曲に何週間かけたんだというぐらい」の難産だった。ディレクターの「サビはこうした方がいい」などの意見を聞きながら苦闘した。「どこに最終形があるんだろう」との戸惑いも大きかったが、最後にOKが出たときは「ホッとしました。(大ヒットで)商業的に結果が出たときには、正直、肩の荷が下りましたね」と笑う。

 その後のシングルもCMやドラマ主題歌のタイアップなどがついて、ヒットを立て続けに飛ばした。「転がるように、次のタイアップ、次のタイアップと話をいただいて、曲を書かなきゃ、書かなきゃの連続でした。そのうちにコツが分かってくるようになると、楽しくなってくるんですよ。『次はこんな曲を書いてやろう』っていう、もうCM作家のような気持ちで」

 だが、これらの曲がオリジナルアルバムに収録されることはなかった。「生意気なんですけど、これは『あくまでもCMの曲』という感覚があったので、アルバムには入れなかったんです。これが入ると(アルバムの)色が変わっちゃうからと思っていた」とふり返る。それでも、「ものすごく仕事をしている感が自分の中には強かった」

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