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終戦とともに、うたかたのごとく消え去った満州国。日、満、漢、鮮、蒙の5族で構成される国軍幹部を養成した陸軍軍官学校(日本の陸軍士官学校に相当)に後の韓国軍主要メンバーが名を連ねる「満州人脈」があった。
その数、約50人(新京の軍官学校のみ)。日本統治時代の選び抜かれたエリートであった若き将校や士官候補生は戦後、韓国軍の創設に加わり、同胞が血で血を洗った朝鮮戦争(1950~53年)を戦い抜く。
やがて、彼らの中心円には大統領(1963~79年)に上り詰めた朴正煕(パクチョンヒ、軍官学校2期→日本陸士留学)が座る。朝鮮戦争前、北と繋がる南労党員とされた朴の命を救ったのも、朴が政権を奪取した軍事クーデター(61年)にも満州人脈は息づいていた。
金光植(キムグァンシク、88)は、その軍官学校、最後の生徒(7期生)である。
終戦後、日本人上官の機転でシベリア抑留を免れた17歳の金は、韓国軍創設メンバーが集まった軍事英語学校(後に韓国陸軍士官学校)に入校。朝鮮戦争にも従軍した。金の体験と証言は、満州を源流とする、ひとつの「韓国軍裏面史」と言えるだろう。
祖国のために尽くせ
71年前の昭和20年8月末の新京(現中国・長春)。ソ連軍(当時)の満州侵攻から約3週間が過ぎた、かつての満州国首都には約8カ月前に軍官学校に入校したばかりの日系(日本人と朝鮮出身者)7期生約370人が残されていた。
満州国軍5族のうち、満系(中国人、満州人)、蒙系(モンゴル人)の軍人や生徒は反逆したり、とっくに姿をくらましている。