戦後71年

終戦直前、鳴門海峡での悲劇 米軍機の機銃掃射浴び亡くなった「住吉丸」予科練生82人悼む 兵庫・南あわじ

72回忌慰霊法要で手を合わせる大島正純さん=2日、南あわじ市の春日寺
72回忌慰霊法要で手を合わせる大島正純さん=2日、南あわじ市の春日寺

 終戦間際の昭和20年8月2日、鳴門海峡で米軍機の機銃掃射で海軍予科練生など82人が犠牲となった「住吉丸」の72回忌慰霊法要が2日、兵庫県南あわじ市阿那賀の春日寺で営まれた。遺族や地元老人会ら約20人が参列した。

 淡路島に砲台をつくるため、「宝塚海軍航空隊・甲種飛行予科練生」ら111人を乗せた民間の貨物船「住吉丸」は、徳島県・撫養(むや)から阿那賀に向かっていた。そこに襲来した米軍機が機銃掃射を浴びせ、14~19歳の予科練生76人を含む82人が亡くなった。炎上する住吉丸を住民が淡路島に曳航し、死者やけが人を春日寺まで運んだという。

 昭和40年に阿那賀に82の墓碑、42年に「慈母観音像」が建立されて慈母観音会として毎年法要が行われている。しかし、高齢化などで参列者は年々減少。昨年は戦後70年の節目でもあり約50人が参列したが、今年は約20人だった。

 当時14歳で機銃掃射の弾丸が頭部をかすめながら九死に一生を得た慈母観音会代表の大島正純さん(85)=西宮市=は「昨年は住吉丸に乗船していた戦友も3人いたが、今年は私だけ。参加者が減っても墓碑とお寺があり、地元の人が守ってくれると思う」と話していた。

 空襲で亡くなった住吉丸船長の長男の濱田石一さん(81)=南あわじ市阿那賀=は「当時小学5年で防空壕から出たら住吉丸が攻撃されたと聞いてどうしていいかも分からなかった。戦争になれば、民間の貨物船も攻撃されてしまう。戦争だけはやっちゃいかん」と語った。

会員限定記事会員サービス詳細