元横綱千代の富士死去

ウルフの愛称で国民的な人気 昭和から平成へ、国技を支え時代を彩った角界のスターが逝った

 土俵の勝利を強い気持ちで求められた背景には家族の存在があった。「子供ができたときにはミルク代を稼がなきゃと思ったものだよ」と語っていた。いまではおなじみの光景となっているが、優勝力士が支度部屋で賜杯を抱き、夫人や子供と記念撮影するようになったのは、千代の富士からとされている。

 まだ生後間もない三女が突然死した直後の平成元年名古屋場所。左肩のケガで休場明け。肉体、精神の両面で危機に立たされていたが、数珠を胸に場所入りし、千秋楽は北勝海との史上初の同部屋の横綱同士による優勝決定戦に持ち込む。神がかり的に勝負を制し、まな娘の供養をした。

 平成3年夏場所初日。初対戦だった新鋭の貴花田(のちの横綱貴乃花)に敗れた。新たな世代の波にのまれるように、2日後に引退表明。あと一度賜杯を抱けば、当時最多優勝記録だった大鵬の32回に肩を並べていたが、のちに「その1回がほど遠いんだ」と語っていた。

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