キャシー中島に聞く

モデル時代、勝野洋との結婚、長女の死、皮膚がん…波瀾万丈の人生を赤裸々に でも涙は見せたくない

 堀切ミロさん。スタイリストの草分けのような方ですが、その人にスカウトされたんです。「あなたさあ、かわいいのに。もうちょっと痩せたらモデルで使いたいのね」と言われたのを今でもよく覚えています。私は自分で言った言葉も鮮明に覚えているんですが、「モデルになったら、お金いくらもらえるんですか?」と聞いたんです。「そうねえ、あなただったら月に3万から5万になるわ」と。おそらく大卒の初任給が2万円か3万円ぐらいの時代だったと思います。母が大変なのを知っていましたから、助けられたらいいなと思って、モデルの世界に入ったんです。

 《モデルになるにあたり、ダイエットを敢行した》

 もともと体の大きい子だったんです。3カ月で20キロも体重を落としました。だからモデル時代の体形の方が偽物(笑)。ダイエットは単純な方法です。食べない、下剤を飲む、という。体が丈夫だったし、若かったからできたんだと思うんですけどね。それで、ミロさんに会いに行きました。「ほらミロ」とは言わなかったですよ、それじゃダジャレになっちゃう(笑)。「どうですか」と言ったら「ああ、いいね」と言ってくださって。それでモデルの仕事をしながら、テレビ番組「ビートポップス」(フジテレビ系)にも出てみたり。芸能界の片隅にちょこちょこ出ている状態でしたね。

 《とはいえ、順調にモデルの仕事が増えていったわけでもなかった。だがキャシーはそこで、類まれなるセルフ・プロデュース能力を発揮した》

 仕事は面白かったんですけど、最初にミロさんに言われた通りの金額はなかなかもらえなくて。それでモデル事務所の「マドモアゼル」に入ったんです。その頃はまだ事務所の創成期で、仕事もそれほどなかったので、学校が終わってから事務所に行って私が電話番をしていたんです。

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