酒井充の野党ウオッチ

参院選でついに越後・田中家が断絶の危機! 角栄ブームの風も直紀氏には吹かず 真紀子節の効果のほどは…

【酒井充の野党ウオッチ】参院選でついに越後・田中家が断絶の危機! 角栄ブームの風も直紀氏には吹かず 真紀子節の効果のほどは…
【酒井充の野党ウオッチ】参院選でついに越後・田中家が断絶の危機! 角栄ブームの風も直紀氏には吹かず 真紀子節の効果のほどは…
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 世は角栄ブームだそうだ。「日本列島改造論」を引っさげ、昭和47~49年に首相を務めた田中角栄は「コンピュータ付きブルドーザー」「今太閤」ともてはやされ、そしてロッキード疑獄で一気に転落した。「カネを使った権力闘争」「派閥政治の権化」「目白の闇将軍」と負のイメージが強いが、今や書店には強烈な個性とリーダーシップを発揮した角栄を再評価する関連本が並び、ベストセラーにもなっている。

 そんなブームをよそに、政界では「田中」の看板が消滅しかねない状況にある。角栄の娘婿で、参院選(7月10日投開票)の比例代表に立候補している民進党の田中直紀参院議員の当選が確実視はされていないからだ。

 角栄の初当選は昭和22年の衆院選だった。以来、16回連続で当選し、平成2年2月まで議員を務めた。実父も衆院議員などを務めた直紀氏は昭和57年の衆院選で旧福島3区で初当選したが、角栄が不出馬だった平成2年2月の衆院選で落選。ここで「田中」の看板は永田町からいったん消えた。

 だが、角栄の娘の田中真紀子氏が父の後を継いで5年6月の衆院選で初当選。真紀子氏は14年に秘書給与疑惑の責任を取って議員辞職(15年の衆院選で当選して復活)したが、そのころには参院新潟選挙区で参院議員に転じていた直紀氏が現職だった。真紀子氏は文部科学相として迎えた24年の衆院選で落選。26年の衆院選も出馬しなかったが、直紀氏が参院議員を続けている。

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