検証・文革半世紀 第2部(7)完

著名作曲家の馬思聡に「草を食え」 日本人になりすまし決死の脱出も

香港から米国に渡った馬は同年4月、声明を発表した。「祖国と人民を愛している。しかし今、中国で大きな悲劇が起きている。文革は中国の知識人に壊滅的な打撃を加えている」

公安省は特別チームを結成し、馬の親類や友人など数十人を逮捕、投獄した。文革後、馬は名誉回復され中国政府は何度も帰国を要請したが、二度と故国の土を踏むことはなかった。

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日本人になりすまし、空路で海外を目指した者もいた。政府系外交団体の職員だった関愚謙の脱出劇は「奇跡」と称された。

農村に下放され、過酷な体験をした関は37歳だった68年の夏、再び文革派の標的に内定したことを知り、自殺しようと思い立つ。

職場でカミソリを探すため引き出しを開けたところ、数冊の外国人の旅券があり、中でも「西園寺一晃」という日本人の顔が自分と少し似ていることに気づいた。一晃は明治の元老、西園寺公望のひ孫。当時は友好人士として中国によく出入りしていた。

「これを使えば海外に逃亡できるかもしれない」。カイロ行きの航空券を電話で予約した関は翌日、家族にも何も告げず出発。空港のトイレで背広に着替え、メガネとマスクをした。

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