国会議員に読ませたい敗戦秘話

追い詰められたひめゆり学徒隊に女教師が差し出した紙片には…「死ヌノガ能ジャナイ」

 「敵はすぐ近くまで来てる。歩ける者は出てゆけ。出ないものはたたき切る」

 やむなく壕を飛び出した。「みんな行かないで。私も連れてって…」。同級生の悲痛な声がずっと耳の奥に残った。

 島袋らが逃げ落ちた島南端の絶壁沿いに広がる密林には、日本兵と住民が息を潜めてひしめいていた。

 米軍は火炎放射器で周囲を焼き尽くしながら間近に迫ってきた。島袋も自死を決意した。だが、偶然再会した教師が紙片を差し出した。「死ヌノガ能ジャナイ」。これを見た島袋は生きる道を選び、ほどなく米軍に保護された。ひめゆり学徒隊で生き残ったのは教師を含め104人だった。

沖縄は本土防衛の捨て石にされたのか?

 1945年3月26日から6月23日まで沖縄で続いた地上戦は凄惨を極めた。76年3月に沖縄県援護課が発表したデータによると、日本側の死者数は18万8136人。うち沖縄県出身者は12万2228人、一般人は9万4千人だった。

 日本列島の南端に位置する沖縄がなぜこれほどの戦場と化したのか。

 44年7月7日、日本が本土防衛上の最重要拠点と位置づけたサイパン島が陥落した。これにより「超空の要塞」と呼ばれた米軍B29爆撃機が無給油で日本のほぼ全土を爆撃可能となった。11月24日にはサイパンを飛び立ったB29爆撃機が東京を初空襲した。

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