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日立造船(大阪市住之江区)は社名のイメージとは異なり、いまでは造船事業をせず、日立製作所グループにも属していない。かつては日本最大級の規模を誇った本業中の本業の造船事業は、平成14年、造船不況などで切り離しを英断した。代わりに主力事業としたのが高い造船技術を生かしたごみ焼却発電施設。いまや世界最大規模の納入実績をあげ、海外企業の買収を通じて世界のリーディングカンパニーとしての地位を築き上げた。(織田淳嗣)
造船技術を武器に
日立造船は明治14年、英国人E.H.ハンターが大阪市内の安治川岸に、個人経営の大阪鉄工所を創立したのが始まり。
創業の地で33年、桜島工場の操業を開始。40年には日本初の洋式捕鯨船を建造し、東京連絡所も開設した。41年には日本初のタンカーの建造に成功した。
その技術力に大企業の日立製作所が注目し、昭和11年、全株式を取得、傘下に収めた。戦時中の18年には「日立系の旗幟(きし)を鮮明にする」と社名も日立造船株式会社に変更。戦後間もなく「財閥解体」の対象となり日立製作所グループから離脱したが、その後も造船技術を武器に成長を続けた。
想定外の決断
高度成長期などは順風満帆にみえた造船事業だったが、平成14年、造船不況や韓国など新興勢力の台頭による価格競争激化などで本業からの切り離しを余儀なくされた。