都市を生きる建築(68)

五代さまの流れをくむ近代建築史の特異点 NTTテレパーク堂島

【都市を生きる建築(68)】五代さまの流れをくむ近代建築史の特異点 NTTテレパーク堂島
【都市を生きる建築(68)】五代さまの流れをくむ近代建築史の特異点 NTTテレパーク堂島
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 現在NTTグループのビルが建ち並ぶ北区堂島3丁目、NTTテレパーク堂島と名付けられた大きな街区は、大阪の近代史、また近代建築史にとって重要な施設が入れ替わり建てられてきた、いわば特異点のような場所である。

 江戸時代の堂島西部には、中之島と同様に藩の蔵屋敷が並び、この地には大村藩蔵屋敷があった。明治維新の版籍奉還によって大名の領地は国に返還され官庁や工場などが建てられていくが、そこに登場するのがあの五代友厚だ。

 五代は1876(明治9)年、この地に国産の製藍所「朝陽館」を設立した。現在の街区全域を敷地とする製藍所だったが、残念ながら事業としてはうまくいかず、1883(明治16)年に閉鎖される。その後この地に五代は、現在の大阪商工会議所、大阪商法会議所を設立した。1922(大正11)年に新しく改築された建物は、大阪の近代都市計画において指導的な役割を果たした片岡安が設計を担当している。大阪商工会議所は1968年に現在の本町橋近くに新ビルを建設して移転するが、それまで五代友厚の像もここにあった。

 1909(明治42)年に北の大火があり、その焼け跡に建てられたのが大阪市庁舎(1912年)。当初市役所は府庁に併設される形で江之子島に設けられていたが、1921(大正10)年に現在の中之島の地に本庁舎(現庁舎の先代)ができるまでのおよそ10年間、木造の仮市庁舎がこの地にあった。