【鹿間孝一のなにわ逍遙】願いましては…2度目の東京五輪と、20世紀で終わった大阪万博(1/2ページ) - 産経ニュース

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鹿間孝一のなにわ逍遙

願いましては…2度目の東京五輪と、20世紀で終わった大阪万博

 わが家から歩いて10分ほどのところに服部緑地(大阪府豊中市)がある。

 阪神甲子園球場の約33倍の広さという公園は、緑豊かで、季節の折々に花が咲く。渡り鳥がやって来る池もある。休日には、芝生の上でバーベキューを楽しむ人々でにぎわう。

 梅雨入りした先週末に散歩に出かけると、雨に濡れた紫陽花(アジサイ)が美しかった。

 ここが2025(平成37)年の大阪万博の会場候補地の一つになっている。

 まだ万博開催が決まったわけではない。名乗りを上げようという検討段階である。

 どうもピンとこない。大阪では数少ない自然に触れられる場所だから、そのままにしておいてほしいと思う。

 そもそも、なぜ万博なのだろう。

 「東京が2度目の五輪を開催するのだから、大阪も2度目の万博を」という声を聞く。

 1970(昭和45)年の大阪万博の「夢よもう一度」という声もある。経済が低迷して地盤沈下する一方の大阪を浮上させる起爆剤にという発想だ。

 最初、服部緑地に加えて、彩都東部と万博記念公園▽花博記念公園鶴見緑地▽舞洲▽大泉緑地▽りんくう公園とりんくうタウン-の6カ所が会場候補地が選ばれたが、最近になって、大阪湾を埋め立てた夢洲(ゆめしま)が新たに加えられた。ここはIR(統合型リゾート)の誘致を目指しており、アクセスなどインフラ整備を万博で、という目論見(もくろみ)らしい。

 そろばん勘定が先行するのが大阪らしい。

 万博の歴史を振り返ってみよう。

 第1回の万博は1851(嘉永4)年にロンドンで開催された。会場として建設されたクリスタル・パレス(水晶宮)が有名である。

 それからしばらくの万博は、産業革命以降の技術文明が生みだした工業製品の巨大な展示場だった。それらがいかに生活を変え、便利で快適であるかを見せてくれた。

 その頂点が1900(明治33)年のパリ万博である。

 夏目漱石は英国留学に向かう途中にパリを訪れ、万博を見学している。「規模宏大にて二日や三日にて容易に観尽くせるものにあらず。方角さえ分からぬ位なり」と日記に記す。

 高さ320メートルのエッフェル塔が人々を驚かせたが、それだけではない。