危ない二人(1)

高須克弥×赤尾由美 赤尾敏が存命ならば「トランプ大統領」をどう見ただろうか?

 由美 伯父がいろんな意味で「元気」な人物であったことは間違いありません。なにしろ平成2(1990)年に91歳で亡くなったのですが、その年の誕生日にも病院を抜け出して、街宣車の上で演説していたような人でしたから。

 赤尾敏といっても、いまの若い人は知らないかもしれませんが、伯父は日本を愛する活動家で、国体護持に挺身した闘士でした。日本の一番の脅威は共産主義のソ連だという考えで、戦前は「日本は米英と戦うべきではない」と訴え、戦後の安保闘争でも、日米安保条約には賛成でした。とにかく戦中戦後一貫して反共愛国を唱えていましたね。

 今回、高須先生が伯父のことを尊敬なさっていると聞いて、実はとても嬉しかったんですよ! 伯父を街宣車の「行動右翼」として怖がっていた人もいましたし、過激で危険な人物と誤解している人も多いので。でも、本当は心優しい愛国者なんです。

60年安保闘争と浅沼稲次郎刺殺事件

 克弥 赤尾先生に憧れたのは、冷戦のまっただ中、僕が16歳の時なんですが、これが、なかなか複雑な経緯と、青年時代の心理があったんです。

 僕が通った愛知県の高校はバリバリの左の学校で、先生も生徒も左翼ばかりだったんだけど、僕は子供の頃から家で反共をたたき込まれていたから、60年安保の時、首相の岸信介を支持して、学校で浮いていたんですね。歴史の先生に一人バリバリの右の、しかも国粋主義者の方がいたんですが、その先生の授業が大好きで、僕は「このままでは、日本はソ連か中国みたいになるだろう」と、16歳ながら危機感を抱いてました。新安保条約は国会で承認され、成立するんだけど、岸内閣は退陣に追い込まれ、岸さんが暴漢に襲われる事件も起きる。ちょうどその頃、安保反対の社会党委員長である浅沼稲次郎が演説会中に、赤尾先生の言葉に感激した17歳の山口二矢君に刺されたんです。

 浅沼さんはすごくお気の毒なことに亡くなってしまい、何とも説明しにくいけど、僕、ショックでしたよ。山口君は当時の僕のわずか1歳上。もちろん、赤尾先生が刺殺を指示したなんて考えないし、暴力的な左翼の安保闘争も悪なら、社会党委員長刺殺も悪なんだけど、社会的な混乱の中で僕が感じたのは「赤尾先生って、わしらの年代の人達を動かすような説得力のある方なんだ」ということでした。それで、東京の大学に入って先生の辻説法を聞きに行ってみたら、本当に感動したんです。(編集部注・浅沼事件で赤尾敏氏は警察の取り調べは受けたが、「直接関係ない」として釈放された)

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