温故地震

北海道・渡島大島大噴火の巨大津波 絵図に残った凄まじい風景 建築研究所特別客員研究員・都司嘉宣

「北海道旧纂図絵」に描かれた渡島大島の噴火と津波(函館市中央図書館提供)
「北海道旧纂図絵」に描かれた渡島大島の噴火と津波(函館市中央図書館提供)

 北海道南端の渡島(おしま)半島の西側沖合約60キロに位置する渡島大島(北海道松前町)は火山島だが、無人のため噴火記録がほとんど残っていない。だが、江戸時代の寛保元(1741)年に大噴火し、半島西側の江差(えさし)町から松前町にかけてを中心に、大津波が襲った記録は残っている。

 この津波による死者は2千人を超えたともいわれているが、最大の被災地となったのは、両町の中間に位置する上ノ国(かみのくに)町の石崎地区だった。50軒ほどあった家屋が全戸流失し、住民は1人生き残った以外は全て溺死したと伝えられている。

 石崎の市街地は、海を隔てた渡島大島に直面していたわけではなかった。島との間には石崎川と、さらに海側に比石(ひいし)館というとりでが建つ高い丘陵があった。丘陵が防波堤の代わりになりそうなものだが、なぜ石崎に大きな津波被害が生じたのだろう。

 函館市中央図書館が所蔵している古文書「北海道旧纂図絵」に、この津波による被害の様子を描いた絵図が残されていた。

 右奥に渡島大島が激しく噴火する様子が描かれ、中央から手前にかけては巨大な津波が丘陵を右から左へ乗り越え比石館の大きな建物を破壊している。そして流出した家具や障子が漂う波が左奥の石崎に迫る。

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