野口裕之の軍事情勢

ドイツは日独伊三国同盟締結後も密かに中国を支援し続けた その「裏切りのDNA」は今もなお…

18世紀以来の国家的課題=中独軍事貿易

 ドイツが舌なめずりする対中貿易は、実のところ1750年代以来の国家的課題で、英国に対抗し1885年、清国直行汽船への補助金を支出、やがて英国に次ぐ貿易量を達成した。英国やフランスに比し帝国主義色が薄いドイツに、清国が後の日清戦争(1894~95年)で日本にとり大きな脅威と化す東洋一の巨大堅艦《定遠/鎮遠》建造や、日露戦争(1904~05年)で、日本軍将兵におびただしい数の犠牲を強いた旅順要塞の造成を協力要請したのもこの時代である。

 その後、ドイツは帝国主義を強め、1897年にはドイツ人宣教師殺害を機に出兵、清国に膠州湾租借をのませた。以後、中心都市・青島は要塞・文化双方の顔を見せつつ急成長する。

 例えば、陸上兵力は1914年に2200人を数え、周囲の山や海岸に築かれた砲台が援護した。海上ではドイツ東洋艦隊が南太平洋の独植民地との間を遊よくした。

 一方で港/鉱山/銀行/鉄道/麦酒会社/学校/病院/ホテル/教会/食肉処理場を建設。郵政にもいち早く着手し、消印で青島が独支配下にあることを世界に宣言した。650種=数百万本もの木が世界中で集められ植樹(1240ヘクタール)されてもいる。

 繰り返しになるが、第1次大戦開始直後、日本はドイツに膠州湾租借地の中国返還を最後通告、最終期限1914年8月23日に宣戦布告した。ドイツ降伏で「東洋の真珠/小ベルリン」と称された青島は日本統治となり、ドイツの一大権益は吹っ飛ぶ。ドイツの日本嫌いは「青島の恨み」を起点としている、と思っている。

会員限定記事会員サービス詳細