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屈辱の改名「須田博」を受け入れた日…生誕100年 伝説の300勝投手スタルヒンの「無国籍人生」

【スポーツの瞬間】屈辱の改名「須田博」を受け入れた日…生誕100年 伝説の300勝投手スタルヒンの「無国籍人生」
【スポーツの瞬間】屈辱の改名「須田博」を受け入れた日…生誕100年 伝説の300勝投手スタルヒンの「無国籍人生」
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 日本プロ野球初の300勝を達成したビクトル・スタルヒン(1916~57年)が今年で生誕100年を迎え、6月7日にゆかりの北海道・旭川のスタルヒン球場で行われる日本ハム-広島戦で、長女ナターシャさんによる始球式が行われる。ロシア革命から逃れ、9歳で日本に亡命してきた伝説の名投手は、理不尽な改名、記録の訂正、衝撃的な事故死と波乱万丈の生涯を送った。

無国籍のエース

 家族とともに、ロシアから亡命したスタルヒンは北海道旭川市で少年時代をすごした。191センチの長身から剛速球を投げる「怪童」と呼ばれ、旧制旭川中(現旭川東高)で活躍。昭和11(1936)年にプロ野球巨人に入団。14年には現在もプロ野球記録として残るシーズン42勝を挙げるなど、沢村栄治投手とともに戦前の巨人の黄金時代を築いた。

 しかし38勝を挙げた15年に時代の波がスタルヒンを襲う。日米開戦を前に野球は敵性スポーツとみなされ、球団名や野球用語の英語使用が禁止された。9月12日に「プレーボール」が「試合始め」「ゲームセット」を「試合終わり」「タイム」を「停止」と呼ぶことが決まった。やがてスタルヒン個人にも圧力がかかり、4日後の16日からスタルヒン改め「須田博」としてプレーすることになった。

 亡命者のスタルヒンは生涯、無国籍だった。このため応召されることはなかったが、屈辱的な名前でプレーを続ける一方、スパイ容疑をかけられ、尾行されることもあったという。そして、職業野球がいよいよ中止になると、ほかの外国人とともに長野・軽井沢に抑留状態にされた。