大人の遠足

長崎丸沈没の責任を取り自決した菅源三郎船長の石像が学生たちを見守り続け…東京海洋大・越中島キャンパス

 昭和17年5月13日、長崎港外で日本海軍が敷設した機雷に触れ沈没。船と命運をともにした菅船長は、海上に浮かび生き延びたものの、後始末を終えた1週間後に自決した。死者・行方不明者39人。海軍の不手際による事故で船長に過失なしとされたが、「それでは海員道が相立たぬ」と遺言した。海員道とは、船員の武士道という。

 命をかけて職責を全うしたが、大学の史跡めぐりの案内には自決の件は書かれていない。「残念」と藤田さん。「一切の言い訳をせず、船長として全責任をわが身に負った明治の男の爽快な気構えに、感服するばかりです」

 菅船長の像は、戦後も複数制作され、故郷の愛媛県・菊間には昭和30年に建立された。足を伸ばすと、瀬戸内海を見下ろす高台に堂々たる銅像が立つ。一時は雑草に覆われていたが近年顕彰の機運が高まり、昨年、慰霊祭も開かれている。

 菅船長の研究に取り組む船員の渡辺伸吾さん(60)が、次女の杉山春子さん(94)が神奈川県内で健在だと教えてくれた。

 「海洋大の像が一番、面影がある。温かい雰囲気で。除幕式で初めて見たとき、父にまた会えた気がした。たまに訪ねているし、像の写真も部屋に飾ってあるんですよ」と、明るい声で話す。